解放してあげましょう

大きな声で話せない?

スクールの生徒さんを教えていて感じることですが、
レッスンを重ねた結果、教本の練習文は大きな声で読めるのに、フリートークや普段のしゃべりの声がどうしても小さいままの人がいます。

訓練を積んで肉体的には大きな声が出せるようになったのに、「おしゃべり」になると
その声が使えない。自分で無意識にリミッターをかけてしまうんでしょうか。どうやら精神的なもののようです。

人間、生まれたての赤ちゃんや幼児は、全身を使ってワンワン泣きます。なんの遠慮もしません。そのときの発声は、実は理想的ともいえる良い発声です。

人は何歳ごろから、周囲に気を遣い、声の大きさをコントロールするようになるのでしょう。

そして、特に日本人はこの傾向が強いようです。

あるボイストレーナーの方から、「日本人と欧米など外国人とでは発声の仕方が違う。それは肉体の違いではなく、主に文化、精神性の違い」と聞いたことがあります。
外国人の方が自然に腹式呼吸で腹からの発声を日常やっているというのです。

外国人サポーターの声は凄い

海外のスタジアムでサッカー観戦をすると驚きますが、外国人サポーター(特に男性)の声の迫力はすごい。歌声もブーイングも、5,6人の少人数でも地響きのような太い音を出します。日本人サポーターの30人の声に勝っています。
外国人サポーターはお腹から出した低い声を胴体全身に共鳴させています。
日本人は、高く張り上げてはいるが、いわゆる「のど声」。身体への共鳴が無いので何十人束ねても細い声に聞こえるんですね。

「腹式呼吸による発声」のメリットをあらためてあげてみると、
腹筋の力で息(声)のパワーを生み出す、ということ。これはすなわち、胸から上、喉の周辺には力を入れないということです。
喉周辺は柔らかくしておくのが良い。そこに力が入ると、喉を絞めてしまう。肩、胸に力が入るのも喉を絞めやすいです。そして、喉まわりが柔らかい方が身体への良い響き(共鳴)を生みやすいということがあります。

発声と「周囲を気にする文化」

人は誰でも、精神的に追い詰められたときは、声は小さくなり、肩をすぼめ、胸や喉をギュッと絞めるような発声になります。

日本人は、喉を絞めるような発声の人が多いと感じます。それは、常に何かを気にしながらしゃべるから? 精神的なプレッシャーが強いから?

外国には、日本よりも、常にリラックスして発言できるような文化的土壌があるのでしょうか。

周囲に気を遣うことを良しとする文化と、堂々と自己を主張することが求められる文化の違いかもしれません。
和を貴び、過度の自己主張を良しとしない環境のなかで育った日本の子供は、自然と声量を落として話す習慣が身に付くのかもしれないですね。

「でしゃばりと思われそう」「こんなことを言ったらバカと思われるかもしれない」「皆と違う意見だったらどうしよう」「なまりをばかにされそう」「このタイミングでしゃべると空気読めと言われそう」「スベッたらどうしよう」・・

あらためて考えてみると、我々は日常さまざまなプレッシャーと闘いながら「発言」しているようです。

解放してあげましょう

何はともあれ、なにかを恐れながらしゃべっていると、良い響きの声は出ません。
のびのびとした発声には「精神的な解放」が必要です。

少なくとも、スクールの教室で声を出すときは、何も恥ずかしがる必要はありません。何も恐れることはありません。堂々と噛んでよい。堂々と間違ってよいのです。言い直せば良いだけですから。
上手くしゃべれなくても、それは決して恥ずかしいことではありません。それを練習するのが教室ですから。図太くなった者勝ちです。

逆に、練習で良い響きの声を出せるようになると、講師には褒められるし、聞き手の反応も変わってきて、それまで知らなかった快感を覚える、ということもあるでしょう。
楽しくなってくれば、よりリラックスしてのびのびと発声できるようになりますよね。

日常生活で急に遠慮なく図太く発声できるようになるか、というとそれは難しいでしょう。
まずは、TBSVoiceの教室という限定された空間でだけでも、自分を「解放」してあげられることを願っています。

文・アナウンススクール TBS Voice
http://www.tbs.co.jp/anatsu/school/