採用試験シーズンに思うこと…
この時期になると・・
アナウンサーの採用試験シーズンになると、スクールで教えていたかつての生徒たちを思い出します。
- 最初の頃は、声が出なかった。
- いつも不安そうにしていた。
- どう読んでも理解不能なESの下書きを持ってきた。
- 面談練習で泣き出した。
などなど。
今、明るく元気に喋っている姿を画面を通して見ていると、「あんなこともあったなぁ~」と、つい数年前のことが、遠い昔のように感じられます。
手がかかる子はかわいい?
よく、「手がかかる子はかわいい」と言ったりします。自分の子どもではないので、本当に「かわいい」かどうかはともかく(笑)、短期間とはいえ、悲喜こもごも(注)あったスクールでの成長ぶりを思うと、「手がかかった」と感じる生徒の方が、印象に残りやすいのかもしれません。
でも、「手がかかる」とは、どういうことでしょう?
辞書を引くと、「手間がかかる」「世話がやける」と出てきます。
例えば、「腹式呼吸による発声」。 感覚的な部分があるので、コツを掴むまでの時間に個人差があります。すんなり出来るようになる人もいれば、なかなかコツを掴めず苦労する人もいます。
自分の経験も踏まえて、色々な教え方をするのですが、それでも時間がかかるケースは毎年何人かあるんです。こう書くと、とても「かわいい」とは思えませんが、それでも印象に残ることが多いのは、生徒自身が、「なんとか身につけよう」と一生懸命努力するからだと思っています。
結局やるのは・・・?
ところが、近年、雰囲気が変わってきました。生徒からの質問で増えたフレーズがあるんです。
それは・・・
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
と、答えを求める質問。
例えば、ESの「なぜアナウンサーになりたいと思ったのですか?」という設問に行き詰ったスクールの生徒から相談を受けたとします。その時の質問で多いのが、「こういうのって、どう書けばいいんですか?」というもの。
てっきり、「字の大きさ」など、書式についての質問かと思って答えていると、生徒の表情が曇ります。そして、「いや、先生なら、どう書きますか?」と、直球の質問が飛んできます。その他、フリートークについても、「どういう風に言えばいいんですか?先生ならどう言います?」と臆面もなく聞いてくるのです。
「でも、それを言ったら、あなたのじゃなく、先生のES(orフリートーク)になっちゃうよ。」と苦笑いしながら(自分なりにやんわりと)断ります。
でも、敵?は、簡単には下がってくれません。
「え~?でもぉ、分かんないんだよね。」「ヒントだけでも教えてください!」
正直、ESやフリートークの中身に、「こうでなくてはいけない!」という正解があるとは思いません。だから、まずは自分の気持ちを、自分の言葉で話して欲しいのです。
その上で、「ここの部分は、こうしてみたら?」といったアドバイスをすることはありますが、最初から答えを欲しがるのは、その人のためにならないと思います。行き詰って、悩んで、なんとか絞り出して、それを駄目出しされて、凹む…。そこから立ち上がって頑張ることで、成長するものだと思うのです。
最初から完璧な人なんて、そうはいません。先日、マラソン界のレジェンド、瀬古利彦さんが、初マラソンを迎えるコミカミノルタの神野大地選手に、こんな言葉を贈っているのをテレビで見ました。
マラソンにホームランはないぞ。マラソンには一発当たるようなまぐれはない。マラソンはスポーツで一番キツく、厳しい。だからこそ一番キツい練習をしないといけない。そうして地道に努力した者が喜ぶことができるスポーツだ。
青学大時代、『山の神』と呼ばれた神野選手に贈る言葉としては、なんともアナログな感じがします。でも、これを聞いて、「アナウンサーの採用試験も同じだなぁ。」と思いました。
最初から答えを求めるのではなく、地道に努力して欲しい、と願います。だって、(なんだかんだいって)試験を受けるのは皆さんなのですから…。
(注):悲喜こもごも・・・悲しいこととうれしいことを、代わる代わる味わうこと。 「こもごも」は「交交」と書きます。一人の人間が喜びと悲しみを味わうことであり、「悲喜交々の当落発表」のように「喜ぶ人と悲しむ人が入り乱れる」の意で使うのは誤りです。※ アナウンサーを目指すなら、『ことば』に敏感であって欲しいですね。
文・TBSアナウンススクール
http://www.tbsan.jp